場所はこちら。
ここは、先日も書いたように、東側から西側へ逃れたい旧東ドイツ市民約千人が、旧東側のハンガリーのショプロンという街のここでピクニックを行い、オーストリアに逃れ、さらに西ドイツへ亡命したという事件の起こった場所。それを記念したモニュメントがここにある。
銅像の人たちはたぶん名もない市民を表しているのではと思う。
説明書きがあった。社会主義の廃墟から自由への道を見つけようとしている自由のない国が、他の自由のない国を助けて自由を獲得させたことを表現しているらしい…つまり、ハンガリーの人が東ドイツ市民の亡命を助けたのだ。
この頃ちょうど今のロシアとウクライナの戦争が起こって間もなくだったので、色々と思いを巡らせた。
春の始まりの頃で、この白い清楚な桜のような花が哀しく感じるほどに美しかった。
この記事へのコメント
おと
ウクライナのこと、こんなに寒い冬でも状況はいっこうに良くならないですね、、心が痛いです。
Baldhead1010
YAP
自由という言葉もその意味をしっかり考えなければと思います。
ナツパパ
ここまで長引くとは思わなかったんですが、冬は大変そうだなあ。
ウクライナの人々の不屈の精神が感じられます。
テリー
ベルリン旅行をしたときに、壁の一部が記念碑的に残されていましたが、その薄さに驚きました。
こんな薄い壁でも、人間の精神を束縛してしまうと感じました。
(。・_・。)2k
なんの花なのか気になるなぁ
mm
最後のお花、ズミによく似ていますね。
Inatimy
秋には黄色い実がたくさんできてたでしょうね^^。