結構大きな木で上の方にしか咲いていない上、通勤時に持ち歩いている35㎜換算28㎜単焦点のコンデジで撮っているので、あまり桜を大写しできないけれど。
それに、ファインダーがないので明るいときにはピントを合わせるのも難しいな…
さて、今日3月24日は、めぎの母校で卒業式が行われる。
母校というのは小学校から大学までいくつもあるが、今日の母校はめぎの2つ目の大学のこと。その大学では卒業の25年後に卒業式に招かれることになっていて、外国に住むめぎにもはるばる招待状が届いたのだった。
もちろん、行けない。その年によってはもう春休みに入る頃だが、今年のイースターは4月20日と遅いので、春休みは4月12日からの2週間。残念。もしイースター休みに入っていたら、ちょっと行ってみたかった気がする。すっかり忘れていたその「卒業25年で卒業式に招かれる」という歳になったことをこうして知らされ、あれから25年も経ったんだ!と衝撃を受けた。
何度か書いたのでご存じの方には繰り返しになるが、めぎは大学を二つ出ている。まず高卒の現役で普通に地元の大学に行き、卒業して普通に就職をして東京に出た。一つ目の大学の卒業と就職からは34年経っている。いわゆる肩パットのバブル世代の最後の方だ。総合職としてバリバリ働くぞと意欲に燃えて入社したものの、仕事をしていくうちに、私のしたいことはこれじゃない、と思うようになった。当時同じように「何か違う」と辞めて行った人は多かった。そして、その後何か習ったり資格をとったりして再就職する人が多かったのがバブル総合職組。今リスキリングなんていう言葉が流行っているけど、そんなの昔からあったわよね。(ま、そういう風に昔話をすると今の人たちに嫌がられるけど。)めぎはリスキリングもリスキリング、再受験してもう一度学部一年生から大学生を始めたのだった。奨学金を借りて、塾や予備校でバイトして。(こんな風に昔の苦労話をすると自慢話になっちゃってますますダメだわね。)その二つ目の大学の卒業から25年。つい昨日のことのようでもあるのに、もうそんなに経ったのね。
思えば、その二つ目の大学の同期(普通に高卒で現役で入学した同期)は今子育て真っ最中。一つ目の大学とその後就職した会社の同期は子どもたちがもう大学を卒業して社会人。めぎはそんな歳なのだ。それは分かっていたけれど、あの、酸いも甘いも経験した、本気で生きていた二度目の大学から25年も経ったなんて。まじか…
その卒業に引き続く大学院時代にはめぎは東京の阿佐ヶ谷に住む伯母のアパートに格安家賃(6畳1K風呂付で5万円)で間借りしていたのだが、思えばその当時の伯母が今のめぎと大差ない年齢だったのだ。当時、伯母がある晩友人と会ってきて、次の日にどうだった?と聞いた時、「この歳になると病気と介護の話ばっかりよ」と言っていたが、ホント、今はめぎのまわり、そんな話ばっかり。あの時にお世話になった伯母の連れ合いのおじさんはもう亡くなったし、当時の指導教授ももう亡くなったし、こうして年月は巡っていくのだな…とこの25周年に思いを巡らした。
変な言い方になっちゃうけど、めぎだって、あと何回桜を見られるかな、と思う年齢になってきたのだ。以前はドイツの67歳定年を心待ちにしていたけれど、今は、67歳になったらどんな病気が待っているかもわからないよな…と思う。歳を取ることって実は本当にしんどい。上手に歳を取ろうとか、良い歳の取り方、なんて言葉がメディアにはかっこよく書いてあるけど、もちろんある程度上手に健康を保ちある程度の金銭的余裕も持って老後を迎えることはできるけど、人間必ず老いて必ずあれこれできなくなって必ず死に至るのだ。あれこれできなくなっていく辛い時をどう心静かに心豊かにやり過ごせるかが、人生において実はものすごく重要な気がする。そんな終末に向かっていることも本当には分からないまま「早く定年を迎えたいな~」と呑気に言っているうちが花だったなんだな、と最近は思う。
めぎの母校では、卒業50周年に今度は入学式への招待がある。それまで健康でいられるかな。その時日本へ飛ぶ元気と財力が残っているかな。その時何人の同期に会えるかな。めぎはその同期たちより9年年上だから、そこまで元気でいられる可能性が彼らより低い。あと25年。そのとき世界はどんな風になっているのかな。
この記事へのコメント
Baldhead1010
昨日、我が県でソメイヨシノの開花宣言がありました^^
mm
食べ物に気を付けることと、脚を弱らせないように頑張ることのみ。
めぎさんは大丈夫。好奇心旺盛だもの。
YAP
しかも、海外在住の人にも連絡が来る。
素敵な母校のイベントだと思いますし、遠くにいる人にも同様にというのがうれしいですね。
私の場合、学生時代の友人とはわりと関係が希薄なので、中学や高校でこういう区切りのイベントがあるといいなと思いました。
めぎさんのように、人生を途中で切り替えて別の道に踏み出すのって、勇気がいるし大変な苦労もあったことと思います。
私の転職なんて、同じ方向向いているレールを乗り換えたみたいな程度で小さなものです。
今回の帰省で、中学時代の友人たちと会いました。
やはり健康の話題は多かったです。
kame
爛漫亭
歳歳年年人同じからず・・・
ぽこねん
八犬伝
50年で入学式に招待ですか
粋な計らいをするものですね。
sheri
以前、病院受付の仕事をしていたときに、病院のハシゴをする高齢者さんを何人も見かけましたが、だんだん近づきつつあります(苦笑9
向日葵
向日葵
20行ほど書き込もうとしたのですが、何回やっても
時間を置いてもエラーになってしまいます。
`test`は入ったのですがー。
後でまた改めてトライしてみます。
向日葵
卒業してから「15年後」に卒業式の招待状が届く。
なんて、実に素敵な母校ですねぇぇ!!なんとも粋です!!
ちょっと遠過ぎてお帰りに慣れないのが残念ですね。
ワタクシはドイツの定年らしい「67」になってしまったので、
めぎさんとは約10個違いますね。
ワタクシなどより遥かに大人でいらっしゃるめぎさんより、
こちらの方が上だったなんて・・!!
ここ3-4日掛けて、2月の20日前後まで遡って読ませて頂きました。
チュニジアの話、パリのツアー、おとさんとのお話、等々、
本当はいちいちコメントしたいのですが、時間も事情もそれを
許しません。ごめんなさい。
今月末までにSeesaaに移行するつもりでいます。
まだ、Seesaaのフォーム自体にも見慣れてないので、
めぎさんの仰る「なんとか禁」を解除、迄いっていませんが。。
今後とも宜しくお付き合いの程、お願い致します。
あ、そうそう。
いつか機会がありましたら、「めぎさん」というHNの由来を
教えて下さいませ。。
向日葵
お騒がせしてすみません・・!!(ペコリ)
rino
二つ目の大学卒業25年なんですね。四半世紀!
めぎさんの努力や決断すごいな、、と思います!
繋がりを大切にする気風というか校風がありますよね。
時が経つのってだんだん切なくなります。
穏やかに健やかに大切に過ごしていきたいものですね。
JUNKO
Inatimy
コツコツと努力を積み重ねて築き上げてこられたここまでの道のり、
素晴らしいなぁと思います。日々一生懸命仕事をこなされて、気づけば25年とは。
次の卒業50周年、参加できますように。
その頃は、ほんと、どんな世界になってるんだろな。
おと
たいち
stellaria
私も、自分の人生の終わりについて考えることが多くなりました。徐々に何かを諦めたり手放したりしていかなくてはならず、それは辛い道のりになるかもしれません。ただ、私がいなくなった後でも、自分が残した仕事の痕跡が数年間は残って、誰かの役に立ってくれるだろうと思うと、ちょっと慰められます。
めぎさんのお仕事やお人柄も(そしてこのブログも)たくさんの良い影響を日々周りに及ぼしていることと思います。これからも、折々の花の美しさに心を弾ませながら、ゆるゆるとこの世界を生きていきましょう。
angie17
この人は(おじさん、おばさん)と思っていた年齢を、
とっくに超えてしまいました。
光陰矢の如しとは、まさにこの事ね。
それにしても【25年目で招待される】の素敵ですね!
夢の狩人
とても素敵な事だと思います!
しかも、海外にまで招待状が届くとは驚きです。
もん
腰が痛いだ脚が曲がらないだ肩が凝ってるだ耳鳴りがするだ歯の奥が凍みるだ…ほんとに「すべてが完璧に調子が良い日」なんてなくなった。でも「予想もできなかった状況」というものもだいぶなくなった。亀の甲より年の劫なのかな。
momo
振り返るとあれやこれや自分の辿ってきた道や、得た教訓を若い世代に伝えたいと思ってしまうけど、「ウザい」と思われるだけなんだろうな・・・と思って言葉を飲み込むこともあります。
(息子には同じ話を何回もするので、完全にスルーされてますが)
私も普通に会社勤めをしながら技術習得するための各種学校というものに通った時期がありましたし、そういうバイタリティがあったあの頃が懐かしいです。
その技術がずっと身を助けてくれ今に至るので、ウザがられたとしてもついついその過程の話を話したくなっちゃいます。